私たち人類の歴史は戦争の歴史でもあり、多くのものを犠牲にして今日に至ります。しかしそんな足跡の中でも、失われることなく現代に伝えられている遺跡もまたあります。今回はそんな現代に受け継がれる古代の人々が遺した海外の遺跡をご紹介していきます。
ギザの三大ピラミッド/エジプト

その圧倒的な存在感とスケールで世界中の旅行者を惹きつけてやまないエジプトのピラミッド。その中でも特に旅行者を虜にしているのがギザの三大ピラミッドです。これは当時のファラオであったクフ王・カフラー王・メンカウラー王の命によってそれぞれ建造されており、年代はいずれも紀元前2500年頃のものです。
しかしその圧倒的スケールと破壊力は世界中から訪れる旅行者に衝撃を与え続けています。その傍には大スフィンクスが鎮座しており、当時のファラオたちがどれだけ絶大な権力を有していたかを物語ります。
また日本人が初めてこのギザの三大ピラミッドを訪れたのは1864年のことであり、訪れたのは34人の幕末の侍だったと言われています。もちろん遊びに来たわけではなく、当時の江戸幕府の命によりヨーロッパを目指していた使節団がたまたま立ち寄っただけのようです。
その時の記念写真は現在も残っておりネット上でも閲覧できます。27人のちょんまげ頭の侍が大スフィンクスの前で記念撮影している姿には歴史の重みを感じずにはいられません。
古代都市テオティワカン遺跡/メキシコ

メキシコの世界遺産でもある古代都市テオティワカンは、紀元前2世紀~6世紀に繁栄したテオティワカン文明の中心地として機能していました。文明が衰退したあともこの遺跡は残り続け、12世紀に廃墟と化したこの遺跡を発見したアステカ人は『神々の都』という意味を込めてテオティワカンと名付けました。
この古代都市は当時の人々の宇宙観や宗教観を表したものとされていて、『太陽のピラミッド』『月のピラミッド』そして『死者の大通り』が基点となって設計されています。しかしこの遺跡に関しては現在でも分からない事のほうが多く、文字による記録が残っていないため当時の民族や言語、滅亡した理由なども謎に包まれています。
ただいつの時代も私たち人間は『宇宙とはなにか』あるいは『生と死』といった問題に答えを見出そうとしてきました。テオティワカンの人々の魂が今どこにあるのかは分かりませんが、彼らの生きた証であるこの『神々の都』は今もなおメキシコの地で静かに佇んでいます。
デルフィ遺跡/ギリシャ

ギリシャの首都アテネから北西へ約180kmの地点に位置するデルフィ遺跡。紀元前に建造されたその遺跡にあるアポロン神殿は古くから聖地として崇められ、古代の人々はここを世界の中心であると考えてきました。
『デルフィ考古遺跡』として世界遺産に登録されているこの遺跡には、アポロン神殿をはじめとしてアテネの宝庫・古代劇場・競技場・カスタリアの泉などがあり歴史的にも重要な観光地です。個人的にも面白いと思うのがやはり古代劇場や競技場でしょうか。
古代劇場は5000人もの人を収容できたと言われており、競技場ではスポーツの祭典が行われていました。古代ギリシャではすでにレスリング・ボクシング・やり投げ・競争など様々なスポーツが行われていたとされていて、古代の人たちもスポーツするんだと思うと何だか感慨深いものがあります。
ペトラ遺跡/ヨルダン

別名『薔薇色の都市』とも呼ばれる中東ヨルダンのペトラ遺跡は、日本から西に約9000kmの位置に存在します。世界遺産にも登録されているこの遺跡の起源は古く、2000年以上前にこの地に定住したナバテア人が建てたものと言われています。
この古代都市ペトラは多くの人や物が行き交う要衝の地として栄えましたが、749年にガリラヤ地震によって甚大な被害が生じたため放棄されました。以来1000年以上もの間この古代都市は人々の記憶から忘れ去られていましたが、19世紀初頭にスイス人によって再発見され今日に至ります。
この遺跡の発掘調査は現在でも続いており、その全貌が明らかになるのはまだまだ先のことのようです。
カルタゴ遺跡/チュニジア

カルタゴとはかつて古代ローマと地中海の覇権を賭けて争った都市国家のことであり、現在でいうと北アフリカにあるチュニジアの地中海沿岸に位置しています。カルタゴの起源は紀元前9世紀にまで遡り、地中海の交易によってカルタゴは都市国家として広く繫栄しました。
しかし最後には古代ローマとの戦いに敗れ、カルタゴの住民は虐殺され町は徹底的に破壊され滅亡しました。。その後カルタゴは新しいローマの植民地としてユリウス・カサエルによって再建され、現在残っているカルタゴ遺跡の大半は再建された後の遺跡のようです。
まとめ
いかがでしたか。以上で現代に受け継がれる古代の人々が遺した海外の遺産の紹介を終わります。お読みいただきありがとうございました。
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