ドイツは世界遺産の数が非常に多く、複数の国々と国境を跨ぐものも含めると52件の世界遺産を有しています。今回はそんなドイツで巡り合いたい歴史の息遣いが感じられる世界遺産をご紹介していきます。
ヴィースの巡礼教会

日本人にはあまり馴染みのない世界遺産『ヴィースの巡礼教会』は、ドイツ南部の小さな町シュタインガーデンにある教会です。人口3000人にも満たない田舎町の教会ではありますが、ここには年間100万人を超える人々が教会を訪れています。
外観は白壁と赤茶色の屋根に覆われた素朴な雰囲気の教会ですが、中に入るとそこには白を基調とした美しい空間が広がっており、訪れる観光客を驚かせます。至る所に施された細やかな装飾の数々。天井を見上げるとそこには天使や聖人を描いた美しい天井画が広がります。入り口の正面奥の祭壇には『鞭打たれるキリスト像』があり、昔この像が涙を流したという話が広まったことから、多くの巡礼者がこの地に訪れるようになったのです。
ヴァルトブルク城

ドイツ中部の都市アイゼナハにある世界遺産『ヴァルトブルク城』。このアイゼナハの地は音楽家バッハの出生地としても知られている街です。ヴァルトブルク城の起源は1067年。当時この地を治めていたテューリンゲン伯が、山の中で「山よ!汝我が城となれ!」と叫んだことに由来するとされています。
訪れる観光客は年間35万人ほど。城は標高400mの山頂に建設されていますが、車で来れることもあり団体客の姿が目立ちます。ヴァルトブルク城の主な見どころとしては、コンサートやイベントなどにも使用されている現役の大広間。美しい装飾に中世の貴族たちの生活が伺える『エリザベートの間』。教会の贖宥状の販売に反発して宗教改革の礎を築いた『ルターの部屋』など。贖宥状とは16世紀に教会が発行した免罪符のようなもので、これを買えば現世の罪が許され天国に行けるというものです。
アーヘン大聖堂

『皇帝の大聖堂』とも言われるアーヘン大聖堂は、ドイツ西部の都市アーヘンにあります。その起源は786年にカール大帝が自身の墓所として宮殿礼拝堂を建設したことに始まり、約20年後の805年にその完成を見ました。そこからこのアーヘン大聖堂では16世紀までの長きに渡り、神聖ローマ皇帝30人の戴冠式が行われてきました。
聖堂内部は八角形の中心部を周歩廊が囲む集中式という構造。この八角形には宗教的な意味があり、イエス・キリストの再生と復活を表す象徴的な数字が『8』なのだそうです。ここにはカール大帝の聖遺物を納めた箱もあるので、自身も生き返ろうとする宗教的な考えのようなものがあるのでしょうか。私はキリスト教徒ではないので詳しくは分かりませんが、こういった歴史ある建造物はそこに至る歴史を知っているとより一層と観光の深みも増すように思います。
ケルン大聖堂

ドイツ西部の都市ケルンにあるケルン大聖堂は、フランスのアミアン大聖堂を手本として1248年に建設が始まりました。建設途中で資金が底をついてしまい300年近く工事は中断されていましたが、着工から632年後の1880年に遂に完成を見ました。
奥行144m。最大幅86m。尖塔の高さ157m。その巨大さはキリスト教建築の中でも最大規模を誇ります。この大聖堂の外観はとにかく圧倒的で、その荘厳な迫力には立ち眩みを起こしそうなほどです。しかしよく見ると壁には何百体もの彫刻や細やかな装飾が施され、その聖者のような像ひとつひとつにもまた宗教的な意味があるのだろうと感じます。
その巨大さばかりに目が行きがちですが実に細部まで繊細です。聖堂内部は非常に天井も高く、ステンドグラスからは太陽の光が零れてきます。歴史的にも価値の高そうな中世の彫像や絵画なども多数見受けられます。大聖堂の尖塔は登ることもでき、500段ほどある螺旋階段を登りきるとケルンの街並みが一望できるそうです。
バイロイト辺境伯歌劇場

ドイツ南西部の都市バイロイトにある『バイロイト辺境伯歌劇場』。このオペラハウスは2012年に登録された世界遺産で、1745年から1750年にかけて造られました。建設当時のまま現存するバロック様式のオペラハウスとしてはヨーロッパで唯一のものになります。
建物の外観は非常にシンプルですが、内部はとにかく豪華絢爛です。収容人数500人ほどのホールながら、柱も壁も門も天井もステージも至る所に荘厳なバロック様式が見て取れます。その過剰なほどの豪華さからは、当時の貴族の財力の凄まじさを感じます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?ドイツは今回ご紹介した世界遺産以外にも歴史ある遺産が沢山ありますので、ドイツに行かれた際はぜひご自身のお気に入りの世界遺産を探してみてください。
以上でドイツ旅行で巡り合いたい歴史ある世界遺産の紹介を終わります。お読みいただきありがとうございました。
コメント