可愛らしい絵本のような街並みが多く残る親日国でもあるポーランド。しかしその歴史は決して平坦なものではなく、一時は他国による侵略のためポーランドという国そのものが消滅していた時期さえありました。今回はそんな激動の国ポーランド旅行で訪れるべき世界遺産をご紹介していきます。
アウシュビッツ強制収容所

ポーランド南部にあるホロコーストの悲劇を今に伝えるアウシュビッツ強制収容所。この負の遺産は1979年に『アウシュビッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所』として世界遺産に登録されました。
この施設に収監された人の9割はユダヤ人であり、残りの1割には障碍者・捕虜・聖職者・医者・ジプシーなどの人々でした。彼らを待っているのは過酷な労働や劣悪な住環境と伝染病であり、仮にそれらに耐えたとしても最後にはガス室などで処刑されます。
第二次大戦中の1940年から1945年という僅か5年間の期間で100万人以上の人々が命を落としたこの施設には、今も世界中から多くの観光客がその人類の愚かな過ちを忘れないために訪れています。
クラクフ歴史地区

かつてのポーランド王国の首都であり、ポーランドで最も歴史ある都市クラクフ。その旧市街は第二次大戦の被害が少なかったこともあり、その多くの歴史的建造物ととともに『クラクフ歴史地区』として1978年に世界遺産に登録されました。
そんなクラクフ歴史地区でまず訪れたいのは市民の憩いの場でもある『中央市場広場』でしょうか。大きな広場の周囲を取り囲むように並ぶカフェやレストランのテラス席では、地元の人々や観光客が楽しそうに語らっている姿が見て取れます。
その広場には2つの尖塔がある有名な『聖マリア聖堂』もあります。1222年に建造されたゴシック様式の聖堂で、高い天井や煌びやかな装飾が非常に美しいです。そんな旧市街の南に位置するのは、かつては歴代ポーランド王の居城であった『ヴァヴェル城』。数世紀に渡って増築を重ねたこの城からは、ゴシック・ルネサンス・ロマネスク様式などが見受けられるので非常に面白いと思います。
ザモシチ旧市街

ポーランド南東部に位置する都市ザモシチ。そこにある『ザモシチ旧市街』はルネサンスの真珠とも呼ばれており1992年に世界遺産に登録されています。この街が作られたのは今から400年前の16世紀のことで、当時の大貴族であったザモイスキ公によって造り上げられたといわれています。
そんなザモシチ旧市街でまず向かいたいのは『大市場広場』でしょうか。大きな広場の周りにはレストランやカフェのテラス席が建ち並び、ミュージシャンのコンサート会場に使用されたりと賑わいを魅せています。
その広場にはすらっとした高い塔が特徴的な『旧市庁舎』もあります。この街のシンボル的な存在である旧市庁舎は、18世紀後半にバロック様式とルネサンス様式によって建てられています。その周囲には可愛らしいカラフルな街並みもあり、観光地としても非常に魅力的な街です。
マルボルク城

ポーランド北部にあるマルボルク城は中世ドイツ騎士団が当時のプロイセンに建設したゴシック様式の城です。その規模は中世のレンガ造りの城としてはヨーロッパ最大のものであり、1997年には『マルボルクのドイツ騎士団の城』として世界遺産に登録されました。
現在は博物館となっているこの城も当時は800人のドイツ兵が暮らしていたそうで、内部は当時の人々の暮らしぶりが今も色濃く残っています。難攻不落のこの赤い要塞も第二次大戦時に大きく損傷しましたが、その後ポーランドの人々の手によって修復され、現在では人気の高い観光スポットになっています。
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会

ポーランド南西部のシレジア地方にあるこの教会は、17世紀にヨーロッパで起きた30年戦争終結の平和の象徴として築かれた木造建築の教会です。砦として使用されることのないよう木と土の伝統的技法によって作られたこの教会は、『ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群』として2001年に世界遺産に登録されました。
教会はヤヴォルとシフィドニツァという2つの小さな町にあり、もともとはグウォグフにも教会がありましたが1758年に火事で焼失しています。教会内部は非常に華やか装飾が施されており、美しい祭壇や繊細な壁画などが見受けられます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。中世から近代に至るまで激動の歴史を歩んできたポーランド。絵本のような素敵な街並みが多くある一方、アウシュビッツのような悪夢としか言えない負の遺産もありました。そういった歴史的背景を踏まえながらポーランドという国を覗いてみることによって、私たちの旅行ももっと意義の深いものになっていくのではないでしょうか。
以上で激動の国ポーランド旅行で訪れるべき世界遺産のご紹介を終わります。お読みいただきありがとうございました。
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